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2011.3.18(FRI)              writer:Murata

 これまで、テレビのニュースで目にしてきた大震災。大変なことだとは思っても、自分にはあまり関係のないことだと考えていました。しかし、いつもと変わらない生活をしていた3月11日、大きな地震が起こりました。
 揺れ始めは、結構揺れているけど次第に落ち着くだろうと軽い気持ちでいました。ところが、立っているのが困難なほど激しく揺れだし、私は、とっさに机の下に入りました。揺れで机の引き出しが開き、植木鉢や積み重なっているチラシが倒れ、今まで体験したことのない大きな揺れに、このまま死んでしまうのかもしれないと思いました。揺れの途中で停電し、非常灯が点きました。いったん揺れが鎮まり、すぐさま外へ出ました。外には周辺のビルで働く人々が非難していました。いくら大きく揺れたとはいえ、そのうち揺れも終わっていつもの日常に戻ると思っていました。外に非難してから、二十分、三十分と過ぎてゆきましたが、余震は続き、晴れていたはずの空は不気味なほど曇っていました。余震の度に建物や電柱が大きく揺れ、目の前の道路は割れて水が溢れ、ただ事ではないと分かりました。周囲の人々はただ揺れるのを見て驚いているばかりでした。
 一時間ほど経過しても一向に収まる気配がせず、このままでは、家に帰れなくなるかもしれないと思いました。帰宅許可をいただいて、帰ろうと水戸駅に向かうと、駅南交番より先は危険とのことで封鎖されていて、北口のバス停へ行くことができない状況となっていました。交番周辺では、水戸駅を利用する大勢の人々が立往生していました。これはまずいと思い、私は、徒歩で家に帰ることにして千波湖方面に歩き始めました。周辺の道路も亀裂が走っていたり、割れたりしていて、車で走行する人は恐る恐る運転している様子でした。いつもと違う水戸の景色を見て、現実として受け止めることがなかなかできませんでした。街中が停電していて、信号が機能していない道路は車がひっきりなしに通過し、徒歩での横断は大変危険でした。一時間半ほど歩いて、無事に家に辿り着くことができました。私の部屋は、いかにも地震があったというような具合でした。
 その夜は一晩中、停電により電気と水道が使えず、毛布にくるまり、ひたすら朝を待ちました。鳴り止まない救急車のサイレンと暗い中続く余震は恐怖そのもので、「死」を予感させました。今まで、これほどまでに死を恐れたことはありませんでした。朝になり、明るくなったのにいつも近くで鳴いている鳥たちのさえずりは全く聞こえず、とても不気味な朝でした。9時位だったと思いますが、突然、テレビが点いて電気が通りました。この瞬間、少しだけ安心しました。その後、水道も使えるようになり、地震発生後はじめて口にした食事はなんともいえない美味しさでした。
 今も尚、余震があり、原発の問題もあるので、とても恐いのですが、ただ怯えていてもどうにもなりません。いつ何が起こるか分かりません。今できることを今やっておかなくてはならないとつくづく思います。当たり前をもっと大切にしておくべきだったとも思います。天災ほど恐ろしいものはないのに、それを軽視してしまったから、二次災害が起きています。私たちは、便利さを追求して、自然を犠牲にしてしまっています。今回の震災を体験して、本来、人間は天災を恐れ、自然と協調して生きなければならないということを強く思いました。




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